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大阪高等裁判所 昭和32年(ラ)268号 決定 1957年12月12日

抗告人(申立人) 劉善慶

相手方(相手方) 大阪入国管理事務所主任審査官

主文

原決定はこれを取り消す。

相手方大阪入国管理事務所主任審査官は、昭和三二年四月三日抗告人に対して発した退去強制令書に基く執行を停止しなければならない。

理由

本件抗告の趣旨及びその理由は別紙のとおりであるが、これに対する当裁判所の判断はつぎのとおりである。

一、抗告人の主張によれば抗告人は中華民国山東省出身者であるところ昭和二八年五月三日、出入国管理令第四条の在留資格があるものとして在留期間を一八〇日とする入国許可を受けて本邦に入国し、爾来一八〇日毎に、在留期間の更新の許可を受けて在留し、その最後の在留期間は昭和三一年四月二一日であつたが、その後抗告人の在留期間更新の許可は得られず、昭和三二年一月頃収容令書により収容せられたので抗告人はこれに対し、法務大臣に異議の申立及び在留期間更新許可の申請をなしたけれども、同大臣は右異議の申立は理由がないとの裁決をなし、これを相手方に通知したので、相手方は抗告人に対し同年四月三日出入国管理令第五一条の規定による退去強制令書を発付した。しかし抗告人はその本国には両親、兄弟等の身寄りなく、又その住居、資産もない者であるが、本邦においては実弟が居住し、入国後は料理人として真面目に働き、化学及び金属製品その原料諸種織物類並びに雑貨の輪出入業を目的とする資本金二〇〇万円の大中貿易株式会社に出資してその監査役となり、又長崎県福江市小泊町六二五番地の一広山熊吉の六女ヨシエと結婚し昭和三〇年一二月一三日その届出を了しその間に二子を儲けたが、長女美華(昭和三〇年八月一五日生)は出生後脳性小児麻痺となり、神戸市生田区三宮町二丁目四番地医師伊坂正経営の医院において治療中であり右妻ヨシエは昭和三四年八月一〇日まで本邦に在留を許可せられている次第であつて抗告人が以上抗告人の事情を考慮せずしてなされた前記法務大臣の裁決に基く、前記退去強制令書発布処分は違法の処分であるというのである。

二、そして本件退去強制令書は法務大臣の異議申立を理由なしとする裁決に基き発せられたものであるから、右裁決に違法の点が認められるときは、右令書発布処分も違法となるところ、法務大臣は右異議申立につき出入国管理令施行規則第三五条所定の事由を判断し裁決するのであるが、その際尚右異議の申立が理由がないと認める場合でも出入国管理令第五〇条第一項各号に該ると認める場合はその者の在留を特別に許可する権限を有するのであつて、右法務大臣の裁量権限はこれを自由裁量処分と解しても、右自由裁量は当該行政目的による条理上の制限を受けるのは当然であつて、その裁量処分を認めた目的を無視し、著しく公正を欠く裁量をなしたときは、それは単に不当の行為というだけでなく、違法の行為として取消訴訟の対象となり得ることもちろんである。

三、抗告人提出の甲第一乃至第一〇号証を綜合すると、抗告人に対する前記退去強制令書発布処分による執行が行われると、抗告人はたちまちその生存に困難を来すのみならず、その妻子の生活も、長女美華の病気治療も著しく困難となることを認めうるのみならず本訴において勝訴をうるもほとんどその訴訟の目的を達しえないことが推認される。

そして抗告人主張のごとき本訴においてその勝敗は必ずしも抗告人に不利とも断じがたきものがあるから本件退去強制令書の執行はこれを仮に停止するを相当とし本件につき右令書に違法の事由なく、したがつてその執行を停止しえないものとして申立を却下した原決定は失当であるから取消を免れない。

よつて民事訴訟法第四一四条、第三八六条、行政事件訴訟特例法第一〇条第二項本文に則り、主文のとおり決定する。

(裁判官 沢栄三 井関照夫 坂口公男)

抗告の趣旨

原決定を取消す。

被申請人大阪入国管理事務所主任審査官近藤孝一が昭和三二年四月三日附を以て、申立人に対して発したる退去強制令書に基く執行は本案判決確定に至るまでこれを停止する。

との裁判を求める。

抗告の理由

原決定は法律の解釈を誤つた違法の決定であるからその取消を求める。その理由はつぎのとおりである。

一、原裁判所は「出入国管理令第五十条に規定する法務大臣の裁決の特例は所謂自由裁量行為なるを以て、法務大臣が抗告人主張の事由を参酌することなく特別在留許可を与えなかつたからと云つても、それは行政庁の判断の当不当の問題に止り、違法の問題を生ずる余地はない」として抗告人の本件申立を却下したが、原決定は次の如き違法があり破毀を免れ難い。

(1) 出入国管理令(以下令と略称する。)第四十九条、同令施行規則(以下規則と略称する。)第三十五条によると、退去強制が甚だしく不当である場合には異議の申立となしうること明白であるところ、抗告人が本件執行停止申立書の申立の理由第二項において主張する諸事由はまさしく退去強制を甚だしく不当ならしめる場合に該当するものであるを以て、法務大臣としては抗告人の異議申立を理由あるものと裁決すべきであるのにも拘らず、之を看過してなした理由なしとの裁決は違法なること明らかにして、之が適法なることを前提とした退去強制令書発布処分も亦違法なるを以て、該処分は取消さるべきである。

(2) 仮に規則第三十五条第四号の規定は令第五十条の規定により法務大臣が在留特別許可処分をなすや否やの為に認められた規定と解するも、異議申立人は規則第三十五条第四号の申立をなすや否やにつき法律上の利益を有するを以て、令第五十条の在留特別許可処分は法規裁量行為と云うべく、抗告人に存する前記諸事情を無視看過してなした裁決及び退去強制令書発布処分はこの点において違法たるを免れない。

(3) 仮に令第五十条の在留特別許可処分が自由裁量行為と解するも法務大臣がその裁量の範囲を逸脱し若くはその権限を濫用して著しく不公平且妥当を欠くが如き裁決をなした場合には、斯る裁決及び退去強制令書発布処分は違法なものとして取消されるべきことは言を俟たないところ、本件裁決はその裁量の範囲を逸脱しその権限を濫用し著しく不公平且妥当を欠く違法なる処分であるを以て、取消されるべきである。

ところが原審は之等の点を看過し、漫然と本件申立を却下したのは違法にして破毀を免れない。

二、のみならず、日本国憲法はその前文第二項後段において、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利を有するを確認している。憲法が保障しているこの平和のうちに生存する権利はひとり日本人に対してのみならず、日本に滞留する外国人に対してもひとしく保障している。而して更にその基礎をなす「人権に関する世界宣言」はその前文、第三条及び第六条等において、すべての人に対し何人も生存自由及び身体の安全を享有する権限を有することを保障している。然るに今仮に抗告人が本邦より何等生活上の手掛り及び基盤もない本国に退去送還されるとせば、現在平和な安定した生活を営んでいる抗告人の家庭生活は根底から破壊され、抗告人は勿論のこと妻子も明日より路頭に迷うことになること必然であるのみならず、それが為長女の生命にも危険を招来し、抗告人一家に対しその生存を危殆ならしめること明白であるを以て、抗告人に対し強制退去を命ずるは、まさに憲法及び「人権に関する世界宣言」が抗告人に保障している前記権利を蹂躙するものにして、本件退去強制令書発布処分は憲法並びに人権に関する世界宣言に違反し、無効のものである。

三、よつて原決定は取消されるべきである。(東京地裁昭和二十九年(行)第一〇四号判決参照行政事件裁判例集第八巻第四号第七五四頁)

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